循環器内科からNIHに
本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。この度は、創立150周年おめでとうございます。長い歴史のある本学で学べたことは卒業生として私の誇りです。これからも本学が学外、学内に広く人材を求め、多様性、流動性、競争を産んで古都京都ならではの大学ブランドを作っていかれることを期待しております。
ありがとうございます。西先生は現在、本学の循環器腎臓内科教室より博士研究員としてアメリカのNIH(National Institutes of Health:国立衛生研究所)に留学されているとのことですが、NIHとそこで取り組まれているお仕事について教えていただけますか。
私はNIHの心肺血液研究所、NHLBI(National Heart, Lung, and Blood Institute)というところに博士研究員として留学しています。大学院で医学博士の学位をとり終えた直後の2020年から本学循環器腎臓内科学教室の的場聖明教授の推薦でこちらに来ることになりました。
NIHは世界トップレベルの医学生物学の研究所でありながら、全米の各研究所の研究予算の配分をする政府機関でもあります。ですので、大学とは違い学生はおらず、専門家が集まる組織となっています。例えば、米国のコロナ対策のトップであるアンソニー・ファウチ博士や2020年にC型肝炎の研究でノーベル医学生理学賞を受賞されたハーベイ・オルター先生もNIHに所属されています。このような環境に身を置きながら、私は心疾患患者の全ゲノムシークエンスデータ(注1)の解析によりミトコンドリア(注2)異常の研究をしています。
(注1)全ゲノムシークエンスデータ
全DNAの一連の遺伝情報のデータ。
(注2)ミトコンドリア
細胞の中にある器官で、ミトコンドリアに異常が見られると心臓や神経に症状が現れやすい。
NIH Building 10
妻とアメリカの友人らとの記念写真
コロナ禍での研究留学
新型コロナウイルス感染症の蔓延期にアメリカに留学されていたことですが、留学で大変だったことはありますか。
留学を始めたのは2020年の1月だったので、その直後からCOVID-19の流行が拡大しました。NIHは閉鎖され、2ヶ月半ほどラボに通えない日々が続きました。私は日本に一時帰国したりと慌ただしく過ごし、大変だった思い出があります。元の留学生活が再開できる日が来るのか、NIHで研究を続けられるのかという不安がありました。
現在はNIHでの研究を再開できていますが、出勤は50%までという制限があるので、半日出勤、半日リモートワークという生活が続いています。
リモートワークではどのようなお仕事をされているのでしょうか。
NIHで当初行っていたのはウェットラボ(注3)での実験が主体でした。しかし、在宅ワークをせざるを得ない状況を受け、リモートでもできるプロジェクトを始めました。現在は機械学習を用いてヒトのビッグデータ解析をするプロジェクトを行っています。もちろんNIHのラボのプロジェクトも継続して行っていますが、京都府立医大や国立循環器病センター、京都大学などと共同して循環器疾患のリスク評価や予後予測のAIツール開発などを目指した複数のプロジェクトに携わっています。私はもともとプログラミングやコンピュータサイエンスの分野に興味があったので、こういった研究にも楽しく取り組んでいます。
(注3)ウェットラボ
実験装置や薬品などを用いて実際に実験を行う研究室。
臨床医の視点からビッグデータを使いたいと思った経緯を教えてください。
私は大学院時代に行っていた研究でもオミックスデータ(注4)というビッグデータの解析をしていました。NIHに所属する以前に海外学会などで得た繋がりから、ドイツのドレスデン工科大学や京都大学でバイオインフォマティクスや機械学習の技術を習得する機会があったのです。当時はマイクロアレイやRNAシーケンスといった分子生物学的なデータの解析を行っていたのですが、現在行っている公衆衛生学的なデータの解析には、当時の経験が入り口となっていると思います。
(注4) オミックスデータ
網羅的な生体分子についての情報。文中の全ゲノムシーケンス、マイクロアレイ、RNAシーケンスデータなどが含まれる。
美しいドレスデンの黄昏
Carlo Cannistraci先生(右:2021年現在、中国清華大学教授)とドレスデンにて
医学とプログラミングの両立にはどんなメリットがありますか。
プログラミングのスキルや知識を少しでも持っていると、研究の幅が広がります。AIエンジニアになる必要はありませんが、プログラミングの技術があればアプリケーションの開発もできるので、クリエイティブな仕事をすることが可能になると思います。医師を目指すみなさんにとって医学の勉強が大切であることはもちろんですが、今後はプログラミングや機械学習などの統計解析の勉強がすごく大事になると思います。今から勉強しておくこともおすすめです。
キャリア形成と医師のウェルビーング
先生は医師のキャリア形成についてもデータを用いた研究をされているそうですね。どのようなことがわかったのでしょうか。
私の経験と研究結果をもとにお話ししますね。京都府立医大第二内科同窓会の先生方に協力してもらってアンケートを実施し、医師のウェルビーング(注5)とワークライフインテグレーション(注6)について機械学習を用いて研究しました(参考資料1)。結果は、ウェルビーングの最大の予測因子はキャリアへの満足度でした。つまりウェルビーングの向上のためには、仕事を楽しめているか、満足のいくキャリアを積めているかが大切だということですね。医師を雇う雇用者側の視点に立つなら、医療の質を高めるには医療従事者のウェルビーングを向上するような取り組みをするとよい、ということになりそうです。これから医師を目指すみなさんや若手医師の皆さんにはぜひこのことを知ってもらいたいですね。
(注5)ウェルビーング
短期的な幸せではなく、自己実現や良好な人間関係などを含めた持続的な幸福のこと。
(注6)ワークライフインテグレーション
仕事と私生活の相互関係。
(参考資料1)Nishi et al. Prediction of well-being and insight into work-life integration among physicians using machine learning approach. PLOS ONE. 2021 July 15; 16(7): e0254795.
キャリアの満足度を上げるとより充実感をもって働けるということですね!西先生は現在、臨床医の肩書を持ちながらデータ解析や機械学習の研究をされていますが、ご自身のキャリアについてはどのようにお考えですか。
私は海外で自分の職業を聞かれたら「メディカルサイエンティスト」と答えるようにしています。あくまで軸は循環器内科医だということを意識しているわけなのです。医師ならではの専門知識を活かすことで、独自の視点から機械学習やデータの解析や解釈をすることができます。データサイエンティストはたくさんいますが、医師かつデータサイエンティストで機械学習をやっている人はあまりいません。肩書一つで100分の1の存在になれるとするなら、3つ持っておけば100万分の1の存在になれるのです。人が持っていない知識や技術を持つことが強みになると思います。
西先生のこれからのキャリアについて教えて下さい。
私はこれまで、AI/機械学習による心筋梗塞の予後予測モデルの開発や(参考資料2)、消防庁の院外心肺停止患者の予後予測の作成をしてきました。現在は国立循環器病センターのDPCデータ(注7)を用いて、医療の質を保ちながらいかに医療費を抑えるかを解明するためのアルゴリズムの開発や、カリフォルニア大学ロサンゼルス校と共同でアメリカの高齢者医療保険データを用いた医療政策研究も計画しています。
私の使命は医療ビッグデータ、医療政策、デジタルヘルスを探求して医療システムを改善することだと考えています。2030年、2040年を見据えて医療の進歩に貢献したいです。
(注7)DPCデータ
厚生労働大臣が指定する病院の病棟における療養に要する費用の額を算定するためのデータ。
(参考資料2)心筋梗塞予後予測AIアプリケーションツール (https://kotomi-calculator.herokuapp.com/)
学生へのメッセージ
留学をしようと考えている学生に対してアドバイスをお願いします。
留学をする上で英語学習が大切なのはもちろんですが、私は「礼節・信用・利害関係」が非常に重要だと考えています。これはビジネスでは当たり前のことかもしれませんが、良いパートナーを得ていく上ではとても大切なことです。私は今までこの三つを意識して人と関わってきた結果、日本にも世界にも人脈を広げ、様々な研究に取り組む機会を得ることができました。また、他の人が持っていない武器があれば自分のポジションを確保していけるかもしれません。
学生へのメッセージをお願いします。
人生で行き詰まった時には、先人の知恵や教えを学ぶと良いと思います。私は時々論語や孫氏を読むようにしているのですがここには「君子は器ならず」という言葉があります。限界を決めてはいけないという意味です。特に若いうちはポテンシャルが高いので、大方のことは努力次第で実現可能であり、限界を設けない方がいいと思います。最近は私が医学生だった頃よりも圧倒的に早く技術革新が進んでいて、必死に食らいついていかないと取り残されてしまう世の中です。教科書に載っていない知識や大学で習わない技術、学問領域を自ら学んでいく行動力が大切です。これは学生のみなさんに対するメッセージでありながら、自分に対する戒めの言葉でもあります。「学は及ばざるが如くするも、なお之を失わんことを恐る」とも言われるように、何歳になっても学んでいなくてはならないということですね。
人生にはいくつもの岐路がありますが、実際は選んだ選択肢が正しいかはわからないものなのです。私はその時々の分岐点で、自らの信念のもと歩む道を選択してきたように思えるかもしれませんが、流れに身を任せたことも多々あります。与えられた環境でとにかく頑張るようにすれば、頑張っているうちにきっと新しい興味が湧いてくるはずです。そして興味や目標が明確になり、自ずと進むべき道が見えてくると思います。
本日はありがとうございました!
取材・文:東優伽(医1)