京都府立医科大学

京都府立医科大学 2022年に創立150周年を迎えます。

創⽴150周年記念インタビュー

2022.03.16

やりたいと思ったらすぐにやる、好奇心が原動力

京都府立医科大学 医学科2回生清田 倫太郎

プロフィール

2016年 斐太高等学校卒業。2017年 京都大学 総合人間学部 入学。京都大学ふんどし同好会を立ち上げ、その会長。2020年 京都府立医科大学 医学部医学科 入学。2021年 京都府立医科大学2回生。 ※学年はインタビュー当時

目次
  1. 臨床と研究とそれにとどまらず
  2. 府立医大に入るまで
  3. 府立医大の今とこれから

臨床と研究とそれにとどまらず

本日はよろしくお願いします!まず自己紹介と、それから府立医大で力を入れている活動について教えてもらえますか。

清田倫太郎と言います。出身は岐阜県の飛騨高山です。斐太高校を出た後に名古屋市の寮で1年間の浪人生活を経て京都大学の総合人間学部に入りました。3回生で京都大学をやめて、府立医大に入学しました。

いま府立医大の2回生としてカリキュラムに則って基礎医学を学んでいるところです。それに加え自主的に研究室に入って研究活動もしています。

大学に一度入った後再び受験、入学されているんですね…!その経緯は後で聞かせていただくとして、研究室での活動についてもう少し聞かせてもらえますか。

八代先生のところの生体機能形態科学の研究室でお世話になっています。心臓の発生の仕組みの解明に関するプロジェクトを与えてもらって研究を進めています。

研究をしたいと思ったきっかけは、何かしら形として自分の成果を出したいと思ったことです。生物の進化に興味があって、それで発生学も面白いなと思い発生に関連する研究ができる研究室を選びました。
研究を始めたもう一つの理由として、京大時代の同期がもう卒業論文を書いているんですよね。自分も論文を1本ぐらい書きたいなと思って、ファーストオーサーにならせてくださいと言って研究室にお願いに行ったら、笑いながら快く受け入れてくれました。(笑)

発生の過程で心臓の形態がどのように変わっていくか、また最近だと心臓発生とオートファジーの関連した研究をしています。

研究のイメージとして思い描いていたのと実際にやってみるのとで、違った部分はありましたか?

研究してみると意外と上手くいかないものだなあと感じます。最近だと培養していた細胞がぜんぶ死んでしまったことがあって、実験して研究を続けていくには精神的な強さも必要だと改めて感じました。それは先生方もおっしゃっていたことでした。

一方、自分の知りたいことを追求して、自由に手段を選んでやっていけるのは研究の楽しい面です。講義がある時期は週に2〜3回ほど研究室に行って実験をしていました。
長期休暇などはだいたい毎日来てやっています。

やってみて初めて気づく大変さや面白さがあるということですね。卒業後のキャリアは研究をメインにやっていこうと考えてらっしゃいますか?

将来は臨床もしっかりやりたいと思っています。アメリカなどどこか海外で働くのもいいかなと考えています。国内で色々勉強してからにはなると思うんですが、自分のQOLも考えて海外も視野に入れて働く場所は選びたいなと。

あと医者に限らず政治にも興味があって、政治家として立法府から色々変えていきたいなとも思っています。それはだいぶ先になるとは思うのですが。まずは研究しつつ臨床もしつつという働き方になると思います。

政治家として立法府から改革したいということは、現在の状況に何か問題意識を持ってらっしゃるのでしょうか?

日本の医療行政は様々な局面で対応の遅さが目立つことがあって、手続きの簡略化が必要だと感じています。また医師不足のために医療が上手くはたらいていない地域が地方にはあって、そういった問題も行政だけでどうにかなるものではなくて、法律から変えていかないといけないと思っています。

政治の場で臨床経験も重要だと思うので、臨床で経験を積んでから政治のほうに生かしていきたいと思っています。あと、アカデミックな世界ってどうしても閉鎖的な側面があると思うのですが、政治家は研究のことを知らない人が多いと思うので、現場で研究をしてきた視点も提供できたらなと考えています。

学生の間にこれはやっておきたいと思うことはありますか?

さっき言った論文を書くということ、それから学会で発表する経験もしたいです。海外も行けるなら行きたいし、医学に留まらない幅広い勉強をするのは社会人になってからは難しいと思うので、哲学や政治学、地球科学など学生の間に色々学びたいですね。

将来、医学・医療と立法・行政をつなげるために今から意識していることがありますか?

知識をつけることは意識しています。自分の専門である医学はもちろん、政治や法律についても本を読んだり法学部の友達に聞いたりして知識の幅を広げるように意識しています。ただ、原動力としては好奇心が一番大きいです。自分が将来、架け橋になるためという意識よりは、面白いのでやっているという感じです。

府立医大に入るまで

京大の総合人間学部で清田さんはどんなことを学んでいたのですか?

教養の講義で本当にいろいろな学問分野の先生の話を聴きました。そのなかで自分の専攻を考えたときに、地球科学か、ふんどしの2択だなと。

ふんどし(笑)清田さんはふんどし同好会の会長をされているんですよね。それについても後で聞かせてください。まずはご専門の話をお願いします。

総合人間学部では主専攻と副専攻を選べるのですが、主専攻を文化人類学、副専攻を地球科学にしました。もともと人類学には興味があって、文化人類学のような文系にくくられる分野から、自然人類学のような理系的アプローチをとる分野まで広く関心がありました。文化人類学では人間の生活全般を対象として様々な地域の文化を実際にその土地でフィールドワークを行って、その文化を研究します。その対象は幅広く日本の農村や海外の西洋文化のあまり入っていない地域、身近なものだと病院の中の患者をターゲットにしたものもあります。ふんどしは日本だけでなく全世界的に見られるものです。が、外国のふんどしはおろか日本のふんどしに関する研究さえあまりされていなかったので、それらの比較研究を行って、副次的に日本でよりふんどしを広められる方法なども考えられたらなと思い描いていました。

全く別の分野を学んでおられたのですね。改めて医学部に入学するとは思い切りましたね…!医学に興味を持ったきっかけと、医学部受験に至るまでの経緯を教えてもらえますか?

最初に医学に興味を持ったのは実は高校卒業後の浪人時代でした。浪人期って、やっぱり病みますよね。自分のなかでいろいろ考えたりもしたんですが、養老孟司の『解剖学教室へようこそ』を読んだのがきっかけで医学おもしろいじゃん!と思いました。

そのときは予備校も入ったあとでコースも文系で決まっていたし今から理系に転向するのは難しいかなと考えました。そこで文系の受験科目で入学できて理系っぽいこともできる総合人間学部を目指すことにしたんです。パズル学や恋愛学といった一風変わった研究をしている人がいることにも惹かれました。

京大に入って学生生活を送る中で留学したいなと思い、そのためにいろいろ調べていたんです。2回生の終わりごろのことです。調べていくうちに準備を整えて留学に行けるのは4回生の1年間になりそうと分かったんですが、そのために留年することは避けたいと思っていました。担当教員だった教授の先生とも相談してなんとか4年での卒業と1年間の留学を両立できる感じにはなったんですが、こんどは本当にそこまでして留学に行きたいのか、自分の中で分からなくなってきて…。

そんなときルネ(京大の生協食堂)でご飯食べてて、受験予備校の「医学部再受験」のパンフレットを見つけました。あっ、と思って。そういえば自分医学部入りたいと思ってたなと。そこからは一直線でした。大学の授業も受けつつ受験勉強もしました。

清田さんはふんどし同好会を立ち上げ、現在でも会長をされているということですが、最初にふんどしに興味を持ったきっかけは何だったのでしょう?

高校3年生の受験期ってやっぱり人生の岐路でいろいろ考えるじゃないですか。そんな中で、なんで自分は下着を履いてるのだろう、下着って本当に履く意味があるのかなと考えたんですよ。履かなくていいという結論に至りました。そういうわけで一時期高校に下着なしで通ってたんですが、それがすごく快適でいいじゃん!ってなって。でも体育の着替えとかあるじゃないですか。そのとき友達から、え?履いてないの?って言われてしまったんです。

周りを不快にさせるのは違うなと思って、なにか他にいいものがないかなと調べていたときに、ふんどしを見つけて、履こう!と思ったんです。だけど、当時実家暮らしで、息子が突然ふんどしを履き出したら親不孝かなと思っちゃって履けなかったんですよ。高校を卒業して名古屋で浪人生活を開始したタイミングで親元を離れたので、すぐにふんどしを買ってふんどし生活を始めました。

ふんどし同好会を立ち上げた経緯を教えてもらえますか?

京都に来るにあたって、古都なのでみんなふんどし履いてるのかなと思ってたんです。でも誰も履いてなかったんですよ!京都なのに!これは広めないとマズいということで、京大に入学してすぐの4月下旬にふんどし同好会を作って活動を始めました。今も会長としてやっていて、40人ほどメンバーがいます。

どういった活動をされているのですか?

大きく言えばふんどしを広める活動をしています。月に1回ほどふんどしについて語り合う「ふんどし談義」をしています。また、テレビの取材を受けることもあります。ただ最近はCOVID-19の影響もあり、あまり活動はできていないですね。

同好会の活動ではなく個人としてですが、ハワイにふんどし留学をしたことがあります。京都大学に「おもろチャレンジ」という研究留学を支援するプロジェクトがありまして、年間30件ぐらい、採択された人に研究資金を提供するというものです。ハワイにマロ(Malo)と呼ばれるふんどしがあって、その現地調査をしたいということでプロジェクトに応募したところ採択されて、1ヶ月間ハワイにふんどし研究のため留学しました。2回生の夏休みのことです。この経験を機に「京大変人講座」で講演をさせていただいたのも良い思い出です。

今でもふんどしを履いている人がいるのですか?

現在履いている人はほとんどいませんが、ハワイでは伝統的にマロを履く文化がありました。オセアニアの方で伝統的に作られている木の皮を叩いて薄く布状にしたものをタパ(Tapa)というのですが、それを体に巻きつけて履く習慣があり、外着として履かれていました。

一番衝撃だったのは、街をふんどしで歩いている人に出くわしたことです。歩いてくるのが見えたので、話しかけました。ロバートさんという方で、サーファーだそうです。自分もすぐに脱いでふんどし姿になり一緒に写真も撮りました。

ハワイでふんどしを履いたロバートさんと

純粋にふんどしだけを研究する1ヶ月間だったのですか?

ふんどしを含め、それを取り巻くハワイの文化を研究しました。現地の人の話を聞いたり、現地の大学にしかない文献にあたったり、博物館で資料を見せてもらったりしました。タパを作っている人に話を聞きに行ったりもしました。全部自分でメールなど使ってアポイントメントをとって調査に行ったので、なかなか大変でしたね。

ハワイではマロが一つの文化として認められていて色々なところで展示されているのですが、日本ではふんどしの展示ってあまり見ないですよね。ふんどしが文化としてあまり捉えられていないと感じます。ふんどしが登場するのは祭のときだけで、特別なもの扱いになってしまっているのは痛いですね。ハワイではマロは伝統的な文化の中の身近なものとして受容されていて、そこが違いだと感じました。日本でももっとふんどしが身近なものになったらいいなと思うようになり、その後のふんどし同好会の活動にも生きています。

ハワイの博物館(ビショップ博物館)にて展示されていたタパ

府立医大の今とこれから

府立医大に2020年の春に入学されて、それからはずっと新型コロナウイルス感染症の影響がありますが、予想していた医学生生活と違う部分はありましたか?

授業がオンライン中心になった分登校の負担がなくなって、正直楽になった感じはありました。ただ、大学での授業や部活動でしか得られない経験が出来ていない子が多くて、それはかわいそうだと感じます。自分は京大の時に授業・実習での教員や友達との交流だったり、部活動のESSでの活動だったり、色々と経験していたのもあり、大学生活の大幅な変化を体感してます。関西圏の大学のESSの団体があって、その連盟長をやったりなど他大学との交流も出来ていたのですが、今ではそういったこともできないので、変わってしまったなぁと感じます。

学生である現在も様々なことに挑戦され、そして将来も多方面に関心を持っていらっしゃいますよね!手を広げて色々やるのは大変なこともあると思うのですが、自分の容量オーバーにならないように気をつけていることはありますか?

自分はキャパオーバーだなと感じることがなくて。楽しいなあと思って色々やってます。大変になりそうだったら自然とやらなくなってたりとか、やる頻度を変えたりしているのかなとは思います。

できる時にできることをやっているという意識ですね。今しかできないことって色々あると思うので。ふんどし同好会を作ったときもそうでしたが、できるときにしないと一生やらないと思うので、何かできるとかしたいとか思ったときにはすぐするようにしています。

府立医大は今年創立150周年を迎えますが、この大学のよさはどんなところにあると思いますか?

先生たちの学生へのケアが手厚いのがいいところだと思います。大切にされていると感じます。あと、教員と学生の間の距離が近くて気軽に話しにいけるのもいいところです。2022年度の本学の学園祭トリアス祭の実行委員長を拝命したので、こういったところも活かした府立医大ならではの学園祭を作りたいなとも考えています。

逆に今後、府立医大がもっとよくなっていくためにどんなことが必要だと思いますか?

今の府立医大の課題で、改善の余地があるかなと思っているのは、対話があまりされていないということです。学生と大学の間での対話があまり透明化されていなかったり、形骸化していたりといったことが多いと感じます。今後は学生の声を直に反映させた教育環境の構築が必要かなと思っています。

実際カリキュラムの変更もあって以前より大変になったと感じることもあると思うのですが、そういった声も届けて、よりよく改善していけるシステムがあったらなと感じています。大学も国の決定に従う必要があって仕方ない部分もあると思いますが、学生は多くの場合大学の決定を一方的に受け入れるしかない弱い立場にあるということを大学側は理解してほしいです。学生も大学の一構成員なので、対話をしてお互いにとってよりよい形に教育環境を整えられたらいいんじゃないかなと思っています。

最後にメッセージにかえてご自身が大切にされていることや強調したいことを教えてもらえますか?

やりたい時にやりたいことはやれ、ということですね。人から何かしたいと相談されることもあるんですけど、自分としては今すぐやったらいいじゃんと思うのに、結局その人は行動に移さなかったということは多いんですよ。やるかやらないかってめちゃくちゃ大きくて、思い立ったときにやるだけで人生は変わってきます。自分なんて他大学を辞めて医学部入ってますし、みんな何かやりたいと思ったらやってほしいと思いますね。

今日はありがとうございました!

インタビューの時

取材・文:長山透流(医4)

⼀覧に戻る