府立医大で助産師になるまで
京都府立医大で助産師を目指した理由を教えてください。
京都府立医大は、オープンキャンパスで話を聞き、歴史のある大学なので入学すればしっかりと教えて貰えると思って選びました。そのときは漠然と助産師にもなれたらいいなとは思っていましたが、具体的に助産師になることを考えたのは、大学で母性学を勉強して興味を持ったときからです。
助産師を目指した理由は、もともと赤ちゃんが好きだったことに加えて、小学生の頃、当時生まれたばかりのいとこが先天性の心疾患でNICU(※1)に入院していました。そこで、小さな体で心臓が頑張って動いているのを見て、こんな小さくても生きているんだと赤ちゃんの生命力にとても感動しました。その頃から赤ちゃんはすごいなっていう気持ちがずっとあったように思います。
もう一つ、大学で募集されていた産婦人科のアルバイトで、正常なお産だけでなく、中絶や流産の場にも立ち会いました。複雑な思いをされている方もいることを知って、より一層助産師として、命の誕生に立ち会いたいと思うようになりました。そのような方への声の掛け方はまだまだすごく難しくて、どう声かけたらよかったんだろうかと後で悩むこともよくあります。
(※1 NICU;新生児集中治療室。 予定日より早く生まれた、 低い体重で生まれた、 または病気を持って生まれた、といった新生児を集中的に治療・管理する)
卒業後すぐに助産師になられたんですね。
はい。助産師になるには、看護師免許を取った後に助産師の勉強をするために助産師学校に1年以上通う方法もありますが、府立医大は4年間で助産師と看護師の免許を取ることができるカリキュラムだったので、4回生のときに両方の試験を受けました。
枠が少なくて大変と聞きますが、実際どうでしたか?
勉強は必死でした(笑)。初めは候補者が多くて、みんながピリピリしながらお互いの成績を気にしていましたのでプレッシャーでしたが、逆に高め合うこともできました。もともと助産師資格を取ることができる枠は8人と言われていたのですが、最終的に希望者9人全員が助産師免許を取ることができました。また、フットサル部に入っていましたが、部活との両立は大変でした。フットサル部の活動が大好きだったので、多くの人が実習が始まればそちらに集中するため部活動を引退する中で、実習期間中にも周囲に心配されながら練習に行っていました。4回生の夏は、部活をしながら就活をしていたので今思い返せばよくやっていたと思います。でも、逆に部活が気分転換になっていたのかもしれません。
学生時代のフットサル部の大会の写真。
助産師の実習はどのようなものでしたか。
助産師課程が認定されるためには赤ちゃんを10例取り上げさせてもらう必要があります。私は福知山市民病院で実習させてもらいましたが、赤ちゃんはいつ生まれるか、陣痛がいつ始まるか分からないので、2カ月間は病院の横の宿舎で泊まり込みで実習をしていました。土日関係なく、寝ていても呼び出しがあれば、病院に向かうという生活でした。同じ病院でもう1人の同級生も実習していたので、宿舎で2人暮らしみたいなことをしながらお互い励まし合っていました。今思えばあの頃はしんどかったけど達成感がありました。
助産師のやりがい
卒業後は府立医大病院を選ばれたのですね。
学生のころから在籍して慣れた環境だったのと、やっぱり大学病院ということで教育体制が整っているので、新卒で働く上で看護技術を身につけられると思いました。また、大学の授業でこの病院の産科の先生の助産学の講義を受けていたのですが、お母さんと赤ちゃんに対する気持ちがすごく熱くて、そのような先生がいる病院で働きたいと思いました。その中のある先生がドラマ「コウノドリ」の話をされていて、観てみるとすごく勉強になって、このドラマも助産師を目指した理由の一つになりました。
個人的な話ですが、私が産婦人科に入院していたとき、末期がんの患者さんなど、お年を召された方もいらして、意外でした。
産婦人科はお母さんと赤ちゃんだけでなく、いろんな年代の女性が入院するので、看護師としても良い経験ができる職場です。生まれたてから亡くなるまで患者さんがいるので、人のライフサイクルが分かるというか。助産師は本当に女性の一生に関わる仕事だと感じます。
実習で産婦人科を回ったんですが、完全な正常分娩より合併症のある妊産婦の方が多かったです。
そうですね。大学病院に紹介される妊婦さんは基礎疾患があったり、赤ちゃんに先天性疾患があったりする人が多く、考えさせられることが多いです。健康に生まれて健康に生きているのは、当たり前ではないのだと改めて思います。命懸けで出産をして、赤ちゃんが生まれてきてホッとしはるお母さんの顔を1番近くで見られるのが嬉しいです。赤ちゃんとお母さんがやっと会えて触れ合っている姿は何回見てもうるうるします。
今はコロナの面会制限もあってお母さんが一人で陣痛を乗り越えるのは大変だろうなと思います。お父さんも手術室から病棟へ戻るときにちょっと会えるだけなので。
それなのに学生の私たちがそばにいるのは申し訳ないですね。
でもそれが嬉しいっておっしゃる方もいます。大勢いてくれてよかったですって。
出産後も育児や授乳などで忙しく、ちゃんと睡眠時間も取れない中赤ちゃんのために頑張っているお母さんをそばで見ていると、母は偉大だと思いますね。この仕事をして、よりお母さんに感謝しないとって、すごく思います。もちろんお父さんにもですけどね(笑)。
助産師になって感じる難しさ
助産師としての難しさとか大変さはどういうところですか。
退院後どんな風に過ごしていくか赤ちゃんとお母さん、その家族のためのプランを立てています。その中で精神疾患を抱えている人や、赤ちゃんを連れて帰れないほどの家庭環境、普通にごはんを食べて寝てという生活が難しい環境で生きている人がいることを知りました。お父さんだけでなく、若い祖父母やお母さんの妹さんなど十分にサポート体制がある家に帰る人がいる一方、シングルマザーで支援者が誰もいない家に帰る人もいます。
疾患だけでなく家庭環境も大変な方がいらっしゃるんですね。
環境も考え方も本当に人それぞれです。いかにその人に合わせて退院後のプランを決めていくか。どの仕事でもそうかもしれませんが、自分の普通が人の普通じゃないということに気がつきました。
プランを考える上でどう言ったことに注意していますか。
できるだけ話を聞くというのは意識しています。これもいいですよ、あれもいいですよって言いがちですが、まずその人の話を聞く。訊き方を工夫したらいろいろ話して下さるので、そうして情報を得た上で、プランの案を作ってチームでカンファレンスをします。理想と実際にできることとのギャップを調整するのが難しいです。
そのチームの中では、助産師が中心となるんですか。
助産師だけでカンファレンスを開くこともあります。でももちろん助産師だけではなくて、医師と相談したり、小児科のスタッフと情報共有したり、妊娠悪阻や妊娠糖尿病など食事指導が必要な患者さんについて栄養士さんに相談したり、地域連携室を通して地域の保健師や施設と連絡をとったり、多職種連携をかなりしています。ハイリスクの患者さんには受け持ちの助産師がついてその人を中心に進めていくこともあります。それぞれの役割を果たして、協力し、みんなで患者さんをみています。
助産師の同期2人と新谷さん(左)
同期がいたから仕事を続けられていると思いますし、1年目の時から今でもいろんな面で支えてもらっています。かけがえのない存在です。
助産師と看護師の違いはどういうところですか。
お産が取れるかどうかです。分娩経過を見てお産を介助することができるのは助産師だけですが、その後のベビーキャッチ(※2)は看護師もできます。手術室で帝王切開をする病院が多いですが、府立医大は分娩室で帝王切開することもできるので、機械出し(※3)を助産師がしています。
実際に働きだしてからと学生時代でイメージが変わったことはありますか。
病気をみる他の診療科と違って、産科はおめでたい出来事である出産をみるという点が特殊だと一般に言われます。ただ私は学生時代から産婦人科でアルバイトをしていたので、おめでとうと言える場面ばかりでないことはもともと分かっていました。なので、そこに対するギャップはあまり感じませんでした。それよりも、生活面での変化が大きかったです。府立医大の看護師の勤務体制は三交代制で生活が整わなくなって睡眠や食事をとるタイミングが分からなくなりました。しかも就職を機に一人暮らしを始めていた所に、コロナが始まり同居人以外との会食は禁止という規制があったので、家族や友達と会うこともできず、仕事上でうまくできなかったことを一人で抱え込んでしまう時間が増えました。
どれくらいで慣れてきましたか。
つい最近ですね。2年目は1年目に比べて少しはよくなったけれどずっとソワソワしていて、先輩や同期に支えられてやっとリズムが掴めてきました。前は休みのときにも仕事のことを考えていましたが、今は友達や家族と会ったり、趣味を見つけたり、やっと気分転換ができるようになりました。
(※2ベビーキャッチ;出生直後の新生児のケア。呼吸、体温維持や心臓の動きのサポートを行う
(※3機械出し;手術において執刀する医師に手術器具を手渡すこと、またその役割のこと。通常は手術室専属の看護師が行う。)
ディズニーが大好きで、学生の頃は世界のディズニーパークを回っていたという新谷さん(左から2番目)
メッセージ
学生や新米の看護師さん助産師さんへのメッセージをお願いします
我慢強く続けれていれば楽になるときが来るってことを伝えたいです。今は、1年目2年目に頑張ったから今の自分がいると思えます。何も分からないところから一個一個学んできた自分たちを認めてあげたいと思うし、それが自信に繋がっていけばいいなと思っています。
よく同期とも喋るんですが、しんどくても多分自分だけではないです。誰かに話してみれば相手も実はそう思っていたりするし、一人で抱えないで声に出したらいつでも助けてくれる人がいます。いろんな人に頼って、一つずつ自分の学びにして、成長していけたらいいと思います。
府立医大の良さは、規模が小さい分色んな人と仲良くなれることです。違う科の先輩に話を聞いたり、縦も横も繋がりがあって、いろんな人に話を聞けるのが心強いです。
今までは業務をこなして、患者さんが安全に過ごせることを第一に考えていましたが、これからは患者さんに合った看護や助産ケアをもっとできるようになりたいです。大変だけど助産師としての仕事内容はすごくやりがいを感じるので、将来的にライフプランが変わるかもしれませんが、頑張っていきたいです。
取材・文:君島 静(医5)